脛骨高原骨折の手術中に感染症になって敗血症で死にかけてからの復活の記録

職場の人とツーリングに

2014年6月29日(日)、 職場の人とバイクでツーリングに行く事になりました。 京都から滋賀に山道で抜ける道が以前走って凄く気持ちよかったんで、 そのルートを走ることにしました。 伊丹で待ち合わせて、 171号線を抜けて、国道423号線を北上、 8号線に入ってガソリンを入れて、 477号線に入り、山道に入った途端 走っていていきなりガタガタってハンドル取られて、 あっという間に地面に打ち付けられました、

事故しました

どうやら、落ち葉が濡れて腐って、 ヌルヌルになっているところ(川とか苔でヌルヌルになっているあんな感じです) で前輪が滑って、すぐグリップが回復したんでものすごい勢いで、コーナーのアウト側に飛ばされたみたいです。 俗にいう”ハイサイド”ってヤツです。 あまりにも瞬間的な出来事で、 どうなったのかわからなかったです。 「あ、やってもた!」 って、とっさに起き上がり、 「バイク大丈夫かな」、 ってバイクをおこしてスタンドを立てました。 ここが事故した場所です。 (googleストリートビューがブログ埋め込みに対応したので埋め込んでみます) 「痛っ!」 ふと自分の足を見ると曲がってはいけない方向に曲がっていました、 バイクが足の上に落ちてきた感じになったみたいで、 相当な衝撃があったみたいです。 それを見て立てなくなりました。 救急車を呼びました、

京都の病院へ入院

京都市内の病院へ搬送されることになりました、 結構な距離なんで時間かかりました、激痛は続き、 車の中でも振動があるたびに、わめいていました。 そのまま京都の病院に入院しました。 京都病院 緊急で手術しなくても良いって事でしたので、 自宅近くの病院を探して転院することになりました。

右足脛骨粉砕骨折 事故直後レントゲン 京都の病院に3日ほどいて、 神戸で手術もできて、 受け入れてもらえる病院が見つかり、 ストレッチャーのまま運んでもらえる介護タクシーで、 京都の病院から自宅近くの東灘区の病院へ転院しました、

一回目の転院

ストレッチャー介護タクシー 介護タクシーの中の写真 一回目手術後 外傷がある程度治ってから手術する事になりました。 シーネの包帯をかえる度に激痛でした。 手術前 手術は朝9時から始まったのですが、 目が覚めたら5時は過ぎていました。 8時間以上かかった大手術だったみたいです。 手術後ヒザは90度以上は曲がり、 最初の手術後はこのぐらい曲がっていました リハビリも始まりました。 リハビリ

手術後大変な事に

手術は無事終わり,リハビリも始まって、手術後一週間ほどたって。 シャワー終わって、車いすで自分の部屋に戻るときに、 物凄い息切れをおこしました、 立ちくらみの酷くなった様な感じでした、 まあ車椅子だから座っているんですけど(笑) 部屋まで戻るだけで大変な感じで、 それから結構しんどくなって、 午前中はまだ友人達がきて対応できるぐらいだったんですけど、 午後からは無理で、食事も食べれなくなって、体温を測ると40度近くになっていて、 内科の先生がこられて、採血をして、氷枕をして、 原因がわからないので対処しようがない、 と、整形の先生は、手術した傷が膿んでないから、 内科では? 内科と整形と たらい回しにされて、その間処置なしで、 どんどん弱っていき、自力で身体が起こせないぐらいになってきて。 体温は42度、血圧は上が40まで下がって、 部屋は個室に移され、 でもまだ、内科と整形とどちらの責任みたいな、感じで処置なしで、 どんどん弱ってきて、 2日たってやっと整形の先生が処置してくれることになって、 MRIを撮影したら、プレート入れたところに膿が溜まっているのが見つかり、 とりあえず大きな注射器のようなもので膿を吸引して、 翌日、手術するって予定でしたが、 この病院では術後の対応が出来ない(集中治療室が無いため) もう命も危ない状態って事で。

救急車で転院

救急車で別の病院(市内で最も最新鋭の設備が整っている病院)へ移されました。 病院を移転してから、 救急処置して、 すぐに楽になりました。

命が危ない!足の切断の可能性も!

この時はCRP(炎症反応)33 (参考基準値) 白血球の数が27000 (参考基準値) このままでは命が危ないので、 緊急手術することになりました。 あの状態で全身麻酔の手術で、 ちょっと持ちこたえる自信は無かったです。 嫁も手術前に先生から、 「やることはやるけど、覚悟はしてください」 って言われていたみたいです。 この時は私自身本気で死を覚悟しました。 「色々あったけど、死ぬ時はあっけないもんだな」 って麻酔が効く直前に思いました。

人工呼吸器をつけられて集中治療室へ

でもなんとか目は覚ましました、 相当衰弱していて、 自分で呼吸するのも困難な状況で、 人工呼吸器を付けられていまして、 先生から、これでも状況が回復しなかったら、 足の切断の可能性もある って言われました。 プレート、ボルト類を全て取り外され、 足は創外固定ってヤツで固定されています。 image   とりはずし後  

どうにか命はありましたが、これからが大変です

一命はとりとめて、足の切断の危機も脱したわけでしたが、 今後の治療はすんなりいかない様子です、 どうやら、MRSAって細菌が検出されて、 その細菌は抗生剤に耐性があるので、 完全に死滅させる事が非常に難しい、 完全に死滅させるまでは足にプレートは入れられない。 金属が入ると最近が活性化するからです。 それまでは、骨折したままになり、 間接が骨折しているので、当然動かせない、 ヒザ間接のリハビリは当然できない、 それだけ長期間固定したままだと、 その後の運動機能回復は非常に困難になる、 でもいつ再手術が可能かは、 見通しすら立たない、 って、先生から言われました。 これは、さすがに凄いショックでした。 容態が少しずつ回復してきたので集中治療室から救急処置室、 さらの一般病棟に移りました。

最初のリハビリは車いすでの散歩でした...。

最初の頃のリハビリは車椅子で外に連れ行ってもらうことで、 リハビリって言うより、気休めの散歩でした。 真夏で天気が良くて、 ポートアイランドだったから、 2009年にGOING KOBE(今のCOMING KOBE、規模の大きい無料フェス)に 泉谷しげるガガガSPの間に出演したことを思い出して、 自分は本当にまたステージに戻れる日が来るのだろうか? って悲観的に考えて本当に、 悲しくなりました。 なんとか車椅子で動けるようにやせ細ってます (集中治療室から緊急処置室、一般病棟へ移った頃です。 流石にやせ細っています。) とにかく、抗生剤を毎日投与する事になり、最低でも連続数ヶ月投与する事が決まり、さらに容態が安定化してきたために、 またまた、転院させられる事になりました。 創外固定ってうつ伏せにはなれないんですよね、 流石に辛かったです。 うつ伏せにはなれない辛い

またまた転院、我慢の日々です

403 (神戸逓信病院、お世話になりました、今は郵政が売却して神戸平成病院になっています) 点滴とリハビリの日々でした、 抗生剤点滴の日々 この頃は結構本をたくさん読みました、 ネットも繋がらないし、他にやることも無かったので、 こんな機会が無かったらゆっくり読書する事もないので、 いい機会だと思って読んでいました。 282 この頃に少し絵を描いていたんですよね。 鉛筆で絵を描きました 病院で描いた絵その2 そして退院する事になりました、事故から2ヶ月半やっと自宅に戻れました、

一旦、自宅へ戻りました

自宅に帰ってからは、ツインピークスのDVDを借りて最初から見なおしたり、 映画見たり、読書の続きをしたり、ドラムの基礎練習をしたり、 一旦帰宅基礎練習再開 結構充実した日々を送っていました。 しかし自宅生活二週間過ぎたぐらいで異変がおきます。 創外固定のピンの部分が化膿して痛くて我慢できなくなってきたのです。

またまた救急車で病院へ

救急車で病院へ逆戻り、 すぐに帰れるかと思っていたらそのまま入院へ、 314 結局、創外固定の打ち直しはせずに外してしまうことになりました。 創外固定のピンはなんと、麻酔なしで抜きました、 グリグリとねじって.....。 これって骨まで突き刺さっていて、筋肉も巻き込んでいるんですね。 先生いわく「これさす時は痛いから麻酔するけど抜くときは痛くないんですよね」って.....。 そんな訳は絶対に無いです!! めっちゃ痛かった!! 創外固定上だけ外す 創外固定全部外すシーネで固定 その代わりシーネ(ギブスみたいなもの)で固定になりました、 再手術に向けて少し進んだ気がして、 ちょっと嬉しかったですが、 ここからも長かった!! また抗生剤投与が始まって(太ももが化膿していたため)、 それを4週間、それから少し期間をあけて、 下半身麻酔で検査の為の手術、骨の組織をとって細菌の検査をしました、骨髄炎になっていないか? の検査があり細菌の培養に10日かかって、やっとOKが出たのですが、 今度は手術室が空いていない為にいったん退院になりました。 そしてやっと再手術が出来ることになりましたこれがもう寒くなった、 11月の後半です。

入院生活を楽しめるようになってきました

この病院はまだ移転して2年ちょっとで新しくて、 設備も最新鋭です大部屋なんですけれどもベットの配置が縦になっていて、 どのベットも窓際になっていて、ちょっと快適でした。 大部屋だけど結構快適!! 病院内にちゃんと24時間営業のコンビニが有り、 病院にコンビニがある!! タリーズコーヒーもあって、 病院内にタリーズ珈琲がある!! ロビーも綺麗で、 ロビーもきれいい 病棟のエレベーター前に話しできるスペースが有ったり。 エレベーター前の休憩出来るところ そこからの景色も綺麗で、 景色 長期入院がこの病院で本当に助かりました。 この入院中はリハビリに研修の学生がこられていて、 その学生と仲良くなって、リハビリ2時間とかやっていました。 なんせ、研修なんで時間いくらでもOKでした。 これは面白かったです、筋トレ色々やったりしました。 院内の図書室で本を借りて読んだりもしました。 車椅子で近くの公園(ポーアイの南公園)へ行ったりもしました。 しょっちゅう出歩いていました、ずっと部屋にいると辛いんですよね。 125 これがポートアイランドの公園です、 病院から二階の遊歩道みたいなところで繋がっているので、 車椅子でも行けました。 元歩く歩道 景色が結構きれいで癒されました。 101 シーネをしている時です、私は基本うつぶせで寝ています、 しかし、入院患者とは思えないこの寝ぞう(笑) 082 だんだんと入院になれてきて、それなりに楽しく過ごせるようになってきました、 怪我も病気も精神的なことが非常に大きいんですよね、 ふさぎ込んでいるより楽しんでいたほうが絶対に治りも早くなるはずなんですよね。 まあ、なれって恐ろしいって話もありますが(笑) とにかく、手術前にもう一回退院しました。 174 介護タクシーです。 この間に松葉杖で外食に行きました。 毎日病院食だったので、めっちゃ美味しかったです。 この時の味は忘れられないです。 松葉杖で外食 松葉杖で外食うまい!!

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やっと再手術!!

2014年11月27日事故から5ヶ月目、やっと再手術にこぎつけました、 4回目の手術です。 またまた、私が手術した部屋の扉には大きく8って書いてありました、 なんかショッピングモールに有るシネコン(複数のスクリーンがある映画館)の一部屋のような雰囲気でした。 前と同じ部屋です。 前と同じ手術室の看護師さん目の綺麗な看護師さん 「なるほどマスクして目だけになるから気合入れて目のメイクしてるんだな」って(笑) 思っていたら意識がなくなりました。 「終わりました」っておこされて病室に戻りました。 二回目手術後レントゲン写真2 再手術は無事成功 再手術後 薬(麻薬的な痛み止め)が効いている間はなんかブルーな気分でしたが、 点滴はずしたら復活しました。 手術後二日目でコンビニに立ち読みしにいけるぐらいまでなりました。

ヒザの曲がり角度は40度、曲げるリハビリが始まりました

そして、リハビリでヒザを曲げる事がはじまりました。 CPMって機械と、先生が曲げてくれるのと一日2回やっていました。 5ヶ月間も固定されたままだったんで、 40度ぐらいしか曲がらなくなっていました。 これで限界ぐらいの曲がり角度 全然曲がらなくなっているんですよね.....。 リハビリ&CPM(ひざを曲げる機械)が開始されました。 これがCPMです。 ヒザを曲げるリハビリは痛みを伴うものでした。 どうやら、本来稼動するところに組織が癒着してしまい、 それをバリバリとはがさないと曲がるようにならない、 でも、当然はがすと痛むんです、 激痛の割には進みません、 翌日はまた元の角度へ、 そんなことを繰り返して、 なんとか75度ぐらいまでは曲がるようになったのですが、 なんとまたまた問題が.....。

今度は術後の傷口がふさがりません、洗浄の為に手術になりましたリハビリも中止に

しかし、今度は手術後の傷口が二週間たっても塞がりません、 傷が塞がらない どうやら感染をおこしている可能性もあるので また手術する事になりました、 これが5回目(笑) もう、シネコンみたいな手術室もなれたもんです(笑) 下半身麻酔で清掃、消毒 それでも、傷口が塞がらないのでリハビリは完全に中止になりました これは辛かったです、せっかくヒザが曲がりだして毎日それを目標に頑張っていたのに、 また振り出しに戻って感じです。

辛かったですがここまでくると開き直りの心境で、千羽鶴を折り出しました

この時にふと「千場鶴を折ってみよう」って思いついて、 折りだしました、 1798573_754419024634179_6738749419594427074_n 1486748_748959335180148_1805306780076911454_n 10425363_748630888546326_2067379225223495718_n 私は手先はめっちゃくちゃ不器用で、折り紙もろくにやったこと無かったんですが、 何も目標が無くて入院しているのも辛かったので、 下手くそながら毎日折っていました。 年賀状も100枚ほど、宛名も裏も全て手書きで書きました。 病院で書いた全部手書きの年賀状 入院中なんで時間だけはいっぱいあったんですよね。 今時、年賀状全て手書きの人なんていないと思います(笑)

このまま年明け

この状態でクリスマス、 落書き 正月をむかえ またまた抗生物質の投与も始まり、 これが毎日3回(朝6時、14時、22時)するもので、 しょっちゅう、失敗してさし直していたので、両手が穴だらけになっていました、 本当に辛かったです。 10885249_748975428511872_2809115437388588864_n

落書きをやりだしました

毎日看護師さんに提出する記録用紙に、落書きをしだしました。 これが結構面白くて(笑) FACEBOOKでのアップするようになりました。 10888843_754363047973110_3626049982057480315_n とにかくどうやって楽しんで毎日を過ごすかって、 凄く考えていました、 リハビリで痛いのは我慢できるんですけど、 進展が無いのは辛いですね。

リハビリ開始にならず、でも退院

そして やっと、傷口が塞がり、抗生剤も点滴から飲み薬にかえても大丈夫ってことになったので 退院になりました。 これが1月下旬です。 1907937_762934927115922_6792480989299144305_n 退院しなりましたがヒザを曲げるリハビリは再開されないまま、 安静のままの自宅療養です。 自宅に戻った私は、長らくやっていなかったドラムの基礎練習を再開し、 千場鶴を折り続け、下手くそな絵を描き続けネットのアップし続け、 新たにキーボードの練習を始めました。 しかし、だんだんと体調が悪くなってきて、 またまた熱が上がり、体中に発疹ができて、また病院へ行きました。 どうやら薬の(抗生剤)副作用だったみたいで、薬を変更して大丈夫になりました。

やっとリハビリ再開

そして最初の外来の時にやっとリハビリ再開って言われました。 リハビリが中止になって二ヶ月たっていました、 リハビリは自宅から松葉杖で歩いていける距離の病院に紹介状を書いていただいて、 それから、週2回リハビリへ通いました。

リハビリ頑張り、ヒザの可動域は健康状態の90%以上に!

リハビリ開始の時点でヒザの曲がる角度は90度だったんですけど 地味にリハビリを繰り返して ひざの曲がり角度は135度、可動領域は健康状態の90%以上まで回復しました。 P_20150529_000043_HDR

やっと荷重許可がおりました!

そして5月にやっと過重許可が出て段階的に過重していく事になりました。 最初の週が3分の一加重、 次の週が半分加重、 その次の週が3分に2加重 そして5月29日、事故した日から11ヶ月 334日目にして、やっと全過重になりました。 これが全荷重になったばかりの映像です。 これは嬉しかったです。

今度は足首の骨が弱っていて痛みました

しかし、やっと歩けるって思ったら今度は、 怪我したヒザじゃなくて、 足首が痛くなりました、 病院に行きレントゲンを撮ってもらったら、 一年間加重していなかったので骨密度が落ちて、 このまま無理をすると疲労骨折する可能性がある、 って事でした、 ほんと一年以上も使っていなかったら仕方ないんですよね。 でも加重しなかったら骨密度は上がっていかないから、 だからだましだまし、荷重していくように、 言われました。 歩くときはヒザよりも足首の方が使うんです、 そしてリハビリを繰り返し、 リハビリの日々2 リハビリスタジオ 少しずつ慣らしていって、 そこから一ヶ月ぐらいでやっと 痛みも減っていきました。

14ヶ月ぶりにドラムセットに!!

そして8月に個人練習でスタジオに入って14ヶ月ぶりにドラムを叩きました。 どうにか叩けているんですけど、体力が無くなっているんで、 結構すぐ疲れるんですよね。 全身麻酔の手術をするだけで体力が無くなるって言われているのに、 手術5回(そのうち全身麻酔3回)もして、長期入院でって仕方ないと思います。

トークライブやりました!

それから9月に入ってトークライブやりました、誘っていただいた方々には非常に感謝しています。 トークライブ 人前に出れるチャンスをいただいたことには本当にありがたかったです。

やっぱり、転んでも絶対にタダではおきないぞ!って思って色々やりました

入院中から折りだした千場鶴は、 普通の折り紙で1000羽 15cm折り紙 千代紙(7.5cm)で1000羽 7.5cm千代紙 四分の一千代紙(4cm)で1000羽 P_20150609_193149 p_20160211_215834.jpg 合計3000羽、折り終わり、今でも引き続き折り続けています。

そして遂にステージ復帰!!!

11月7日 シークレットライブ的な感じでもありましたが、無事ステージ復帰しました。 仮復帰ライブ会場

そしてプレートを抜く手術

1月20日に手術をしてプレートを抜きました。 入院は3日ですみました。 朝ごはんはこんなんじゃ全く足りないので(笑) 朝ごはん コンビニで弁当を買って食べました(笑) P_20160121_083707 それから10日間は傷が再度開くとダメなんで安静でした。 まあ、歩くのは問題ないので自宅で色々やっていました。 それから2月1日に病院で、傷口が完全に塞がったことが確認できたので。 動いても良くなりました。 でも、ボルトを14本も抜いたので、 抜いた金具 骨の強度が下がっているみたいなので、 一ヶ月は激しい動きは禁止ということになりました。 ぼちぼち、やりだしますけど、ドラム叩いたりはそれ以降にしようと思っています。 退院!!

後遺症診断はナシ!!

術後検査で病院に行きました。 問題なしでこれで終了です。 検査で病院へ 保険屋から言われてで先生に「後遺症診断出ますか?」 って聞いてみました。 「それだけ動いたらなんにも出ませんよ」 って言われました。 この言葉はめっちゃ嬉しかったです。 これで晴れて健常者です!!! やった!!やった!!! まだもう少し有りますけど、私の治療、療養生活もいよいよ最終章に入った感じです。